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本と、朝ごはんと、私の好きなもののハナシ

貴様いつまで女子でいるつもりだ問題/ジェーン・スー

私はいつまで女子を自称しても許されるんだろうとか、
何歳からがアラサーなのかとか、
自分では自分のことババアって言ってるけど他人から言われたらムカつくとか、
女性の年齢と自己認識の問題は数えだしたらきりがありません。
 
タイトルにもなっている一番の命題の答えからいうと、
女子は生涯、いち女子で、みんな心の中にある「女子」という刺青を背負って生きていくらしいです。わかります。
 
これはジェーン・スーさんの短編エッセイを一冊にまとめた本なのですが、感想を一言でいうと、この人こじらせてるなあ~でした。
なんでそう思うかというと、私もこじらせてるからです。
言ってることがよくわかるというか、わかりすぎる。
 
でも、ここは私とは違うな、と思う部分もありました。
例えば、「ピンクと和解せよ。」で、ピンクは自分には似合わないという潜在意識や周りからの圧のせいで、ピンクの服が着られない、ピンクの小物を持てない、と言ってたり、「メガバイト正教徒とキロバイト異教徒の絵文字十年戦争」では、可愛い絵文字なんてもってのほか、メールにはびっくりマークしか使えない!と言ってたり。
 
このピンクや可愛い絵文字には「女子性」のメタファー的な部分があります。
自分の中にそういう「女子性」はあるし、周囲に出せたら楽なのに、自分の立ち位置とか役柄とかを考えてしまって、「女子」である部分を外にさらけ出せない、というタイプがスーさん。
 
反対に、私はピンク好きを公言してるし、可愛い絵文字も使えるし、身構えずに自分の「女子性」をさらけ出せるタイプです。
なぜそれでも私がこじれているのかというと、それはきっとその「女子性」を意識しすぎていて、「こういう女子になるべき」という理想に自分を縛り付けているからじゃないかなと思います。その理想が高くて届かないから、どうせ私は…と卑屈になってしまうというタイプのこじらせ方。
 
どっちのタイプも世間が作り上げた「女子像」に対する反応なんだろうけど、正反対の反応をしても同じ「こじらせ」というゴールに行き着くのは面白いなと思います。女の人の生き方が多様化するにつれて、こじらせのタイプも多様化しているのかな。
 
スーさんは今四十路。
彼女の時代では珍しかったと思うけど、バリバリキャリアを積み上げて、いわゆる「お一人様」を謳歌した生き方をしてきた彼女は、私たち世代のそういう女子よりも大変だったんじゃないかなと思います。そんなパイオニアがいたからこそ私たちも羽を伸ばしてこじらせていられるんだろうな。
 
もちろん世間のバリキャリ系こじらせ女子に対する目もだいぶ変わってきたとは思うし、テレビでも「こじらせ女子」「たられば女子」「干物女」とか言われて市民権を獲得してきているけど、それは世間一般の勝ち組女子に対する「異種」としての女子であるわけで、本当に世間的に認められてる訳じゃない。
まだまだ「女性としての幸福=恋愛面での充実、結婚、出産」みたいな図式があるのは肌で感じるし、その幸せをうまく掴めていない女子はこじれてるという風に思われてしまっていると思います。
 
だからもっとこじらせ女子が世の中に出てきて「こじらせ女子」の新しい定義が生まれたら、こじらせがこじらせじゃなくなるんじゃないかなあと思った次第でした。
 
あんまり何が言いたいのかわからなくなっちゃったけど、とりあえずすでにこじらせている私は自分の中の「女子魂」とうまく付き合いながら人生を楽しみたいなということです。
 
だって女の子だもん!